¡Hola! ¿Cómo estás? Soy Madri. Hoy os cuento desde España sobre el entrenador de Atlético Madrid, Diego Simeone.(こんにちは!お元気ですか?Madriです。今日はスペインからアトレティコ・マドリード監督のディエゴ・シメオネについてお話しますね。)
スペイン、“ラ・リーガ”の強豪アトレティコ・マドリードで監督を務めるディエゴ・シメオネは、2011-2012シーズンの途中に監督に就任して以来、長期政権を築き今シーズンで12年目を迎えています。本記事では、就任初年度からUEFAヨーロッパリーグを制する等、数々のタイトルを獲得してきたシメオネ監督のこれまでの歩みと実績、そして今後の動向について取り上げていきます。
ディエゴ・シメオネ監督の選手時代は?
アルゼンチン出身のディエゴ・シメオネ監督は、選手時代に複数の強豪クラブでプレーし、母国の代表チームでも90年代から2000年代に活躍をしていました。アルゼンチンリーグのベレス・サルスフィエルドの下部組織からトップチームに昇格してプロキャリアをスタートすると、すぐに頭角を現し21歳になる1990-1991シーズン以降はイタリアとスペインの強豪クラブを渡り歩きます。特に際立った成績を残したのは、現在監督を務めるアトレティコ・マドリードに所属していた1994-1997の期間です。レアル・マドリードとバルセロナが立ちはだかるスペインにありながら、ディエゴ・シメオネが主力として活躍するアトレティコ・マドリードは、1995-1996シーズンのリーグ戦とコパ・デル・レイの2冠を獲得する快挙を達成しています。その後はイタリアのインテルとラツィオでプレーしますが、ラツィオでもタイトルの獲得に貢献します。キャリアの終盤は再度アトレティコ・マドリードに戻り2シーズンプレーした後、最後はアルゼンチンのラシンで現役を退きました。
選手としての特徴は、万能型であり献身性もある選手でした。中盤の広い範囲をカバーできる能力があり空中戦が強くヘディングによるゴールも多数決めています。また、対戦相手のキープレイヤーを徹底マークする“潰し屋”の異名も持ち、相手の自由を奪い時には激しいファールで相手をくい止めます。その激しく狡猾なプレーが見られたのが、1998年のワールドカップ フランス大会のアルゼンチン対イングランド戦です。若き日のイングランド代表、デイビッド・ベッカムがアルゼンチン代表のディエゴ・シメオネとマッチアップする中で事は起きました。試合中盤にシメオネの激しいマークとファウルを受けると、苛立ったベッカムは報復としてシメオネの足を軽く蹴り返します。シメオネが大きなアクションで倒れると、主審はベッカムに対してレッドカードを提示するのです。ベッカムは一発退場となり試合の流れがアルゼンチンに傾いてしまったのです。この時のシメオネの行動は大げさに見えなくもないですが、大事な場面でチームに有利に運ぶ判定を呼び込んだシメオネらしい狡猾なプレーとジェスチャーだったといえるでしょう。試合はアルゼンチンが勝利し、シメオネは勝利の立役者として称えられ、一方でベッカムは戦犯として厳しく非難されたのでした。
ディエゴ・シメオネ監督の指導歴は?
指導者キャリア
初期
指導者としてのキャリアは、2006年に選手生活最後を過ごしたラシンから始めます。その後はアルゼンチン国内4つのクラブを渡り歩いた後、イタリアのカターニャの監督に就任しました。カターニャといえば、当時、元日本代表の森本貴幸選手が所属していたチームです。降格圏まで3ポイント差の15位で監督を引き受けますが、終わってみれば10ポイント差の13位でシーズンを終え、チームを残留に導いたのです。翌シーズンも契約が残っていましたが、契約を満了せずアルゼンチンのラシンで再度監督を担う選択をします。
アトレティコ・マドリード就任後
2011-2012シーズン、リーグ戦とコパ・デル・レイでの成績不振を理由にグレゴリオ・マンサーノ監督を解任したアトレティコ・マドリードは、後任にディエゴ・シメオネ監督を指名します。クラブ側との対立により母国アルゼンチンのラシンを退団していたシメオネは、すぐさまアトレティコ・マドリードの監督に就任すると、チームの状態を上向かせ、最終的にはリーグ戦を5位で終えます。そして、UEFAヨーロッパリーグでは決勝戦で兄弟チームのアスレティック・ビルバオを下し、就任1年目にして早くもビッグタイトルを獲得したのです。それからのアトレティコ・マドリードは、長いクラブの歴史において、最も輝かしい時代をシメオネ監督と共に過ごします。大黒柱のフォワードが他チームに引き抜かれても、その都度若手の抜擢や他チームからの補強を効果的に行い、レアル・マドリード、バルセロナと3強の一角を担いリーグ戦を盛り上げていきました。シメオネ監督が就任して以来のタイトルは、国内ではラ・リーガ2回、コパ・デル・レイ1回、スーペルコパ・デ・エスパーニャ1回、国際大会ではUEFAヨーロッパリーグ2回、ヨーロッパスーパーカップ2回、計8度のタイトル獲得を誇ります。さらに、UEFAチャンピオンズリーグでは、2度の決勝進出を果たしています。2度とも同じ都市のライバル、レアル・マドリードを前に涙を呑む結果となりましたが、正真正銘のヨーロッパナンバーワンまであと一歩まで迫ったわけです。
戦術は?
ディエゴ・シメオネ監督は、これまで守備重視の戦術を採用してきました。ディフェンスラインを4人で構成し、中盤に4人、前線は2人のいわゆる4-4-2のシステムが基本となります。チーム全員にハードワークを求め、ディフェンスは非常にコンパクトに距離を保ち対戦相手を嵌めていきます。一度相手からボールを奪取すれば、素早いカウンター攻撃を繰り出して相手のゴール前に迫り得点機会をうかがうスタイルです。チーム全体で意思統一ができているため、ディフェンスが非常に安定しているのが特徴となっています。このように選手一人一人に厳しいタスクを課しているにもかかわらず、選手がそれを実行に移し、長期に亘って結果を残すことができています。その秘訣は選手との強固な信頼関係あってこそのことでしょう。シメオネ監督は戦術的にも優れているだけでなく、選手を鼓舞するモチベーターとしても高い能力を持っている監督と言えます。
今後の進退は?
ディエゴ・シメオネ監督の契約は2024年の6月までとなっています。今シーズンはUEFAチャンピオンズリーグでグループリーグ最下位に終わり、コパ・デル・レイも準々決勝敗退となりました。クラブCEOのミゲル・アンヘル・ヒル・マリンとの確執も噂され、契約期間終了を待たずして、アトレティコ・マドリード退団の可能性が示唆されましたが、ここへきて続投に傾いているようです。クラブの財政状況を考慮し、給料の減額にも応じたという報道もあり、依然としてアトレティコ・マドリードというクラブへの愛は変わらないということでしょう。選手としても監督としてもクラブの正真正銘のレジェンドとなったディエゴ・シメオネ監督の指揮する姿を、まだまだ見ていたいファンも多いのではないでしょうか。またチャンピオンズリーグで上位進出する強いアトレティコ・マドリードの復活に期待しましょう。
息子もサッカー選手?
ディエゴ・シメオネ監督には3人の息子がおり、サッカー選手としてプレーしています。長男のジョバンニは、20代前半からイタリアのジェノアに移籍し、現在はナポリのストライカーとして活躍しています。次男のジャンルカはジョバンニと同じくフォワードの選手ですが、選手としては伸び悩みあまり芳しい成績が残せていない状況です。現在はスペインの5部に相当するリーグのへレスでプレーしています。そして、三男のジュリア―ノは、アトレティコ・マドリードの下部組織からトップチームに昇格し、現在は期限付き移籍でスペイン2部のサラゴサでプレーしています。二人の兄と同じフォワードですが、まだ20歳と若く、今後の成長と活躍が見込まれる選手です。数年後にはアトレティコ・マドリードで成長した姿をみせてくれるかもしれませんので、期待して見守りましょう。
ディエゴ・シメオネ監督の名言は?
選手をモチベートする術に長けているディエゴ・シメオネ監督は、度々名言や印象に残る言葉を残す監督です。特に就任当初から繰り返し言っている、「Partido a partido(パルティ―ド・ア・パルティ―ド)」は、長いシーズンであるが、一試合、一試合に集中して戦う、毎試合決勝戦のように戦うことが大事である、といった思いが込められているようです。アトレティコ・マドリードの強度の高い試合は、毎試合選手が全力を出してこそ成り立つスタイルであり、シメオネ監督はこのような言葉で一試合ごとに試合の重要性を説いているのでしょう。
まとめ
いかがでしょうか。ディエゴ・シメオネは、選手としても監督としても輝かしい成績を残してきたアトレティコ・マドリードの正真正銘のレジェンドです。その戦術、選手をモチベートする力を見ても、欧州の中でも屈指の名監督といえるでしょう。一時期は退任の噂が流れていましたが、現時点では続投の可能性も高くなっています。レアル・マドリードとバルセロナに肉薄する位置までチームを押し上げた、名将ディエゴ・シメオネ監督の引き続きの采配と今後の動向に注目していきましょう!それでは、また。¡Nos vemos, hasta luego!(それでは、また会いましょう!)